さて、ホテルに荷物を置いて散策を開始しました。

今回最も使った「トランスジャカルタ」と言う交通システムの最寄駅
「サリナ」まで1本の道を歩いていきます。

お昼にいろいろな屋台が軒を並べていました。

気になるところですが、手持ちのインドネシアルピアがほとんどないので
最初に向かったのはこちら。

両替所です。わかりにくいですが青い看板のところがそうです。
ここで2万円を両替しましたが、結果的にジャカルタでは今回
これだけの両替で事足りました。

両替を済ませると、目の前の屋台群が気になります。

事業者の違う複数の屋台が共通のテーブルと椅子を用意していて
フードコートのようでした。

こういった、汁なし麺をいただきます。

こちらは、山羊肉のサテです。他の料理が100円くらいなのに対して
こちらは500円と割高でしたが、その分の価値ありました。
上に載っているのは里芋のようです。再現できそうですね。

そして、こちらが一般的な鶏肉のサテ。今回私たちがジャカルタに来た意義が
この時に感じました。と言うのは今まではバリ島スタイルのサテをだしていました。
これは、自家製のペースト(チキンペースト)を鶏肉に下味でつけた物を焼いて、
ピーナツのたれは別盛で出していました。
しかし、ジャカルタのそれは違い、焼自体はペーストを使わず(屋台だから?)
塩コショウ味で、焼いた鶏肉に対して、大量のピーナツたれをつけて
食べます。 同じサテでもこの違いは大事なところですね。

こんな感じで現地最初の食事を楽しみました。

熱中症対策?のためジュースも注文しました。
スターフルーツともう一つ、マンゴーに似たフルーツのジュースです。

ノリの良い屋台の姉さんと

屋台の雰囲気をもう少し、実はここに限らず流しの歌手がギター片手に歌を歌いに
やってきてました。

サテの仕込み場所。バナナの葉が壁になっています。

サテの仕込み風景。経験者だからわかるのですが串にさすの結構大変です。
柔らかそうに見える肉も、スジの部分にぶつかれば結構難作業です。

さて、サリナの駅に到着しました。横にはサリナデパートがあります。

トランスジャカルタの駅の中の様子。カードを購入して入るシステムです。

専用レーンです。ここに専用のバスが走るので渋滞知らずという
訳ですが、どうしても信号や一部一般道を走ることがあるので
完全な渋滞知らずとはいかないようです。
ちなみに、前の方は女性専用席(2両か1両で来るので専用車両ではない)
があり、車掌が見張っているので、男性がちょっとでもそこにいればすぐに
注意されます。

言われている所の終点「コタ」にやってきました。

ジャカルタコタ駅です。かつてはインドネシア長距離鉄道の起点駅のようだったのですが今は、別の駅に変わっているらしく、
通勤電車が多くやってきていました。
そしてこのコタ地区はオランダ東インド会社時代以来の最も古いジャカルタの地域なのだそうです。

駅の中です。中央駅らしい貫録があります。バンコクのファランボーン駅とかを思い出します。

1870年開業のこの駅。ドーム型の建築物自体にも味わいがあります。

コタ駅から北の方を目指します。ここにはファタヒラ広場とかもありますが、
先に向かったのは「跳ね橋」と呼ばれている橋の方向です。

19世紀以前のオランダに統治されていたころのジャカルタのような雰囲気が
そこにありました。

おしゃれなカフェとかが多く並んでいます。

こちらはミュージアムですね。

もう少し進むと工事現場のようなところがあります。

老朽化した伝統的な建物をうまく改修して再利用しようという所でしょう。

数年後になればもっと華やかなエリアになるような気がします。

でも、廃墟自体はそれで好きな風景ではありますね。

このあたりから先は、全然整備されていないエリアになります。

廃屋とその奥に見える近代的な建築物
この先は工事の高い柵だらけだったのです。

跳ね橋が見えるスポットに到着しました。

こちらが「跳ね橋(コタ・インタン・ブリッジ)1628年の完成です。

このあたり急ピッチで整備をしているのがわかります。
これは、数年後に整備されてから再訪してみたいですね。
(ひょっとしたら2018年開催が決まっているアジア大会の頃に
整備を終わらせようとしているのかもしれません)

悪臭がするどぶ川と聞いていましたが、臭いは気になりませんでした。
すぐ近くが海なので、整備されてからが楽しみです。

跳ね橋近くのこちらのホテル。オランダ統治時代の趣を残す「ドリバーホテル(バタビアホテル)」ですが、ネット上での名前が錯綜しているようでよく解りません。
とはいえ、今はこの場所で泊まるのは微妙な気がしました。
(整備が済めば価値も変わるでしょう)