「サワディシンチャオ(旧:東南アジア10か国料理店)」公式ブログ

2021年1月まで存在していた飲食店。店は閉店しましたが事業は引き続き継続します。

カテゴリ: 思うこと

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さて、先ほどに続いて先週訪問したスリランカ料理の写真ですが、実は帰り際
一つだけ気になることを言われたのです。それは「辛くなかったですか?」と。

私たちは、普段から香辛料を使ったような東南アジア料理を作っていますし、
現地に渡航した際にもそういう料理を普通に食べるので、全く「辛い」とは
感じず、寧ろ「旨い」と思ったもので、それはそれで問題も
何もなかったのですが、ただ辛い」かどうかで
料理の評価の指標になっているのではとちょっと気になりました。

数年前の事だったと思いますが、昔行列のできていたカレー屋さん
(そこはインド系?記憶曖昧)で食事をしたとき、その前にネット上での
情報を収集した時の口コミ(個人のブログ)を見ると「とにかく激辛」=「旨い」と表現されていた事に違和感を覚え、おかげでその記憶が今まで残りました。
辛さの度合いが比例して旨さの度合いのようになっていてそれはどうなんだろうと。


確かにタイ料理は辛い料理が多いのも事実で、熱帯地域ですから
年中熱いこともあり、そこで辛い物を食べることで元気づけている
食文化の伝統のようなところもあるのは事実なのですが、
別にタイ料理がすべて辛いわけではなく、辛くないタイ料理の代表格のように
「カオマンガイ」と言う鶏肉が乗っている料理が2・3年くらい前から受けていたり
しています。(しかし、辛くないが強調されすぎて、旨みが2の次のように見えます)
また以前よく聞かれたものでベトナム料理=辛いという間違い。実際にベトナム料理の場合辛い料理を探す方が大変ではないかと思うくらい、実は優しい味の料理が多いのが現実のところです。

それはベトナム料理とタイ料理がごちゃごちゃになっている人が多く、
その事が原因でしょうか?そういう風に聞かれてしまうのです。
ここで調べてみると、どうやらラオス・カンボジアという間に挟まれた
両国の食文化が陸続きの2か国の影響を受けているために起きている現状を
確認できました。

実際に渡航してわかったところではありますが、特にカンボジアはアンコールワットの遺跡群がありますから、観光客で訪問する人も多いですし、また日本では
タイ料理店がベトナム料理を出したりその逆もあるから、一般の人にとっては同じもので、「辛い」が優先されているような気がします。
ただ、当店も(屋号からして)半ばそれがあり、少し反省すべきところなのかもしれません。

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9月にリニューアルした店内(撮影:吉田一廣)


さて、話がそれましたが「辛い」=「旨い」と言うのはどうも納得できないところが正直あります。ところが、辛い料理は慣れてしまうと病みつきになったりさらに辛い物を求めてしまう傾向があるようで、通常唐辛子3本も使えば十分「辛い」料理でも物足りないという人に10本の唐辛子を入れたとしても「平気」なんていう人もいるから驚きです。

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ところでこちらはバナナですが料理用
(実はそういうバナナが東南アジア圏に存在する)なのです。

このバナナを使った料理ではあまり見かけませんが、「辛い」のは食文化の一つなのでやむを得ないとはいえ、その中に隠れた「旨い」料理がある事。
そして辛くない料理でも、十分おいしい料理も数多くある事。そういう事実を当店で多くの人に提供していきたい。そのように思います。

だから 「辛い」<=「旨い」としたいところです。
フィリピン料理などむしろ甘い位ですし。


追記:
ちなみに当店の料理が「辛い」かどうかを尋ねられることも実際に多いのですが、正直「辛い」の定義は人によって違うので、はっきり言って答えが難しいところです。
(私たちはその人の舌を持っていないので)
そこで一つの指標を出したいと思います。おそらく一般的なカレーの中辛と大辛の間くらいの料理が多いかと思います。

ですから中辛を辛いと思う人にとっては辛い料理が多い(もちろん中辛より辛くない料理もありますが)ですし、大辛を平気と思えば、辛い料理はそれほど多くない(もちろん大辛より辛い料理もありますが)となるのかなと思います。ご参考までに。

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先日の定休日のお昼の時間帯に、以前から気になっていたお店にランチを食べに行きました。こちらはスリランカ料理店で、本格的なスリランカの味が味わえるお店が徒歩圏内にあります。
私たちは仕事柄、東南アジア系の料理の店だといろいろチェックも入って楽しむことができないこともあるのですが、南アジアのインド文化圏の中にあるこちらの料理ですとそのような「気負い」もなく楽しむことができました。

ところで、実際に食べてみてある事を感じたのです。
それは「料理そのものの味は違えど、インドネシアのジャワ島やミャンマーで食べた現地の料理の片鱗のようなもの」です。

私たちも含め、この地域に精通していない人間だと、ついつい 
南アジアの料理=インド=カレー という構図ができていて
インドを始めパキスタンもバングラディシュもネパールも同じような料理
と思いがちですが、一つ一つ見ると微妙に料理が違います。

※ 今でもタイ料理とベトナム料理とインドネシア料理を混同する人が
  ごくたまに来られますが、恐らくそのようなものなのでしょう。
  (あるていど地域で一括り、そうそうロンドンの回転寿司屋で
   キムチと点心も寿司と一緒に回っていたのを思い出します)

このあたりは似て非なるもの、インドと言う国自体も北と南とでは
食文化が違うと言いますから、専門家レベルではなくとも
ある程度知っておくと、何かと便利です。

ただあまり原理主義的に考えると、明確に分けたくなってしまい、前後関係を
排除しかねない問題もあって、実際以前私たちもそのようなことはありました。
でも今ではもちろん違うけど、陸続きですから微妙に「類似点」を見出しながらそれぞれの国の料理の文化を確認していこうという姿勢に変わっています。

そうすると見えてくるものがあって、例えば香港で「通」の人と地元で人気の
潮州料理のお店で食べると、そこにはタイ料理の片鱗のようなものが
見え隠れするのがわかって、実際にそのあたりからタイをはじめとする
東南アジア各地に多くの人が「移民」として移住したという記録がありますから、
多分「その際に食文化もついて来たのかな」とそのあたりが頷けるのです。

そして、今回もスリランカ料理にという所で、例えばセイロン島と
東南アジアのマレー半島とか島々に「移民」という歴史的な記録は確認
できていませんが、少なくとも古代から中世や大航海時代などにかけて
このあたりは航路(海のシルクロード)もあったので、
人の往来は多くあったのは事実のようです。
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地図を見ると解りやすく、実は結構近いのですね。
スリランカのセイロン島とインドネシアのスマトラ島など直線距離なら、同じ「南アジアインド圏の北インド」やバングラディシュあたりと比べても近いのがわかります。

ただ、これらの国(南アジアインド文化圏)は実際には訪問したことがないので、シンガポールなどの東南アジア圏のインド人街しか知らないのですが、料理だけでなく位置関係や歴史などをある程度見ていくと、同じ料理でもちょっと違った見方ができるものです。
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               (撮影:吉田一廣)

こちらは、10月4日以降の新しい体制になってから着用する予定の
ユニフォームですが、このように単なる「料理」の提供だけでなくその背景的な視点から東南アジア10カ国の「食文化の情報」を隠し味として料理を提供していければ、と考えております。

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豚ミンチと白ナスのミャンマーカレー

実は昨夜、ちょっと残念なことがありました。
詳しくはツイッターで愚痴をこぼしましたが、
禁煙に関する認識の違いによりお客さんにお帰りいただくことになったのです。
しかし、その人たちが退出したのと入れ替わるようにカップルの来店がありました。
もし、上記の事がなければカップルが入れなかった可能性がありましたので
結果的に良かったのです。

そして、ここからが本題。パッと見た目ではわかりにくかったのですが、
店内では英語で会話をされていました。
後で聞いたところ、実はこのカップルはフィリピン人と韓国人だったのです。
それをきっかけにシェフが話をしたところ。「フィリピンの卵焼きがおいしい」という話になり、そのフィリピンの人曰く
「フィリピン料理の店が大阪には見つからなくて、
探しても歓楽街の風俗系の店の名前しか出てこなくて職場の同僚に説明できない」
と言うのが悩みだったそうです。

と言う事で。当店では実際に、フィリピンマニラの料理教室で習いましたから
ご予約いただければ対応できますといえば喜ばれました。

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と言う事があったのですが、つまり10年くらい前と比べるとずいぶん東南アジア料理(当時はエスニック料理として、印度やら他の民族系料理と一緒にされていた)
の認知度が上がってきました。当時は某飲食チェーン店の店長にそういう料理の話をすれば、顔が酸っぱいものを食べた直後のような表情となって、
「あの、濃くて癖のある料理ですか?」などと言われたものですが、主にタイ料理屋さんがそれも日本人が経営したり調理したりする店が増えてきましたので、ここに来て一つのカテゴリーができているところはあります。

しかし、タイ料理以外となれば、ベトナム料理とインドネシア料理はまだ健闘していますが、あとマレーシア・シンガポール料理店はあるにはあるけれど、圧倒的に少ないですし、フィリピンやミャンマーあたりになると本当に見つけるのが一苦労なんてことが普通にあります。

そういう事もあり、ブルネイを除く9か国の首都の渡航経験があり、現地の料理を習ったり味を知っている私たちがそういう東南アジア10か国料理のレストランを行い、少しでもマイナーなアジア諸国の料理を提供できればと思うわけなのです。

10月3日から新しいメニュー営業体制になります。明日明後日中にそのあたりを決めて火曜日(26日)には、発表できるようにしたいと思いますのでよろしくお願いします。


追記:ブルネイだけは渡航経験がなく、正直のところまだ勉強中です。位置関係などからしてマレーシア・シンガポール・インドネシア料理に近いもののようですが、さらに精度を上げて調べていこうと思います。(いつか渡航したいですね)ちなみにこの国で排出される天然ガスの90%を日本に輸出しているそうで、日本との関係は非常に良いらしいです。

先週の週明けに、私たちのお店は名誉あるメダルを授与してもらいました。

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これは、カレーアワードと言う、全国のカレーを表彰する団体から頂いたもので、
私たちが受賞したのは2015年のことになります。

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ということで、1年半ほどになっての授与となりましたが、2015年の
この受賞を機に当店のグリーンカレーの存在が知れ渡るようになり、
カレーファンとかカレーマニアの姿を多く見るようになりました。

奇しくも、タイのトップシェフ「ビチット・ムクラ氏」からグリーンカレーを
指導していただいた後の完成されたグリーンカレーと言うのもタイミングが
良かったですね。

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(ビチットムクラ氏:写真は今年の1月の時のもの)


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メダルは、こちらのカレーの任意団体が主催していたイベントなどの収益から
賄われたとか、経費が掛かるのに逆に申し訳ない気もします。

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わざわざ関東から持ってきてくださいました。

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ということで、現在店内に飾っていますが、右の方にメダルが
2つありますね。これは14年以上前にもらったメダルです。
ですから14年ぶりにもらったメダルです。

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ところで何のメダルかというと、日本地ビール協会からもらったもの
元々私たちは麦酒食堂と言うビールの店からスタートしたのですが、
元々は自分たちで小さなビールの醸造所とレストランでもできたらなどを言う
夢がありました。ただビールは年間60kl条件が緩い発泡酒も年間6KL
(2002年当時)を生産消費し、その分の酒税を収める必要があり
私たちでは到底無理。という事で断念して、飲食店だけ始めたのです。

その際、太閤エールと言うビールを企画して富山の地ビール会社さん(すでに廃業)
の協力で作った時にもらったメダルが左(右はBOPと言う試作したビールで
半年前に貰ったメダル)。

これは店開業直後の2003年の6月に東京のビアフェスティバル会場で
貰いましたからちょうど14年前のことになります。

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企画してもらったメダルとはいえ、製造そのものはビール会社の力が
あっての事ですから、今回完全に私たちの力だけで作った料理に対して
もらったメダルはまた格別なものがあります。
10年前にビールの店から東南アジア料理の店に代わってずいぶん遠回り
しましたが、ようやく食べ物のおいしい店として認められた証でも
ありますから、これからも精進していきたいですね。

追記:上のグリーンカレーは特注品で、ジビエのイノシシ肉入りです。
   こちらも大好評でした。

昨夜次のニュースを見たのですが、M-1とかそういうものの存在は
知っていても普段はまったく興味がない私たちですが、
今回王者になったのが「銀シャリ」さんということで、もう5・6年前
になりますが、当店にリポーターの取材としてこられたことがありましたので
ちょっと記事にしたいと思います。

銀シャリ王者のM―1グランプリ、関西で23・8%の高視聴率…関東地区の約2倍

スポーツ報知 12/5(月) 10:18配信
 4日にテレビ朝日系で放送された漫才師日本一を決定する「M―1グランプリ2016」決勝(日曜・後6時半)の平均視聴率が13・5%だったことが5日分かった。瞬間最高視聴率は午後8時55分、正統派しゃべくり漫才コンビ・銀シャリが第12代王者に輝いた瞬間だった。

【写真】キングオブコント2016で優勝したライスが銀シャリを祝福

この番組は「いただきナハーレ」という番組で、知り合いから
DVDに録画していただきもらいましたのでその映像が残っていました。

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当時は、「アジアごはん麦酒食堂」という名前の屋号。
2007年8月オープンとあるのはその前はBEER&BEARという
ビールを主体としたお店だったのでそういう風に表記されています。

ちょうど、アナログ放送が終わる直前(2011年5月放送)ということで、
そういう画面が黒画面として残っているのが歴史を感じますね。

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当時の店内の様子。現在と変わっているところと変わっていないところが
混在しています。

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自慢というわけではないのですが、当店は14年近くの歴史の中で
何度かテレビの取材を受けたのですが、その中で一番印象に残っている
のがこの人たちでした。ほかの取材はリポーターの人も普通のお姉さん
のような人が多いのに対して、この人たちは漫才師さん。
服装も舞台衣装でこられましたからインパクトが大きかったです。

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ちょうどこの時は、ベトナム人のクインさんが、手伝いに来ていました。


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シェフおぐしと銀シャリさんの3ショット。今となっては貴重ですね。

撮影前にご挨拶したら、非常に腰の低い方だった印象がありました。

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この当時から、自家製ペーストのグリーンカレーは名物メニューとして
紹介されました。でもこの当時は今のと比べるとまだ完成形では
なかったのですがそれでも大人気でした。

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シェフも何度か取材を受けていますので、結構手馴れてかかわります。

実はこの撮影と放映があったころに、当時常連だったお客様にその旨の話
をしたところ、まだ当時の銀シャリさんは伸び悩んでいるような印象
だと言っておられました。
しかし、あれから5年が経過して芸を磨かれて
M-1グランプリの大賞をとられたのですから、本当にすごいですね。

長く店を続けているとこういう楽しいこともあることを
認識した瞬間でした。

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