「サワディシンチャオ(旧:東南アジア10か国料理店)」公式ブログ

2021年1月まで存在していた飲食店。店は閉店しましたが事業は引き続き継続します。

カテゴリ: サワディシンチャオの軌跡

「8月のお盆にビールのイベントを梅田ですることになったが、料理とかの出店は出来ますか?」との声。実は秋に毎年恒例のビールのイベントがこの梅田スカイビルのところで当時行われていてそこには店を始める前から良く遊びに行きましたが、
いつか出てみたいという気持ちがありました。
ということで、その出店の話かと思っていたのですが
どうやらそうではなく、夏にイベントをするというのです。

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梅田スカイビル


梅田スカイビル空中庭園で有名なところですが、今はグランフロントとかが出来て少し近くなった気もしますが、当時はそれすらなく梅田から非常に長い地下道を歩かないと到達できない場所。そのため少しでも活性化ということでいろんなイベントを計画していて今回もそういう一環で考えられたようです。
日程は2003年8月15日から3日間。
ちょうど私たちが台湾から帰った次の日という事で、あわただしかったのですが、
初めてのイベント出店ということで、チャレンジしてみることにしました。

当時当店ははビールの店で、空中庭園でビールが飲める場所を設置して、そこに大道芸人とかを配置して、みんなが楽しめる広場として活用しようという狙い。
その場所の食べ物担当という事ですので、東南アジア料理は封印し
無難な唐揚とか焼きそばとかジャンボフランクなどを用意して挑みました。


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当日は複数のこういう大道芸人の人が来ていました。


よくタイ等の食堂に行くとおそろいの格好をしているお店が結構あります
それにならって、当時の店のロゴをつけたオリジナルのTシャツなどを
用意しました。

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これは合成しましたが、こんなイメージです。


朝から仕込みで慌しく始まりました。お手伝いの女性2名がいたこともあり、
作業は順調に進み、お昼前には、タクシーに仕込みの食材一式を乗せて会場に
向かいました。
現場では当時のお客さんだった人や店開業前の知り合いの人たちに
手伝ってもらい、どうにか開始。

HPなどで告知。主催者側もそうですが、したこともあり
知り合いなどのお客様は多数来られました。

これはこのイベントに限らず今後いろんな外のイベントに出て嫌というほど経験するのですが一番恐れているのは天候です。このときは3日間のうち最終日の天候が悪く大苦戦しました。ただそんな仲でも来店してくれる人はいましたし、大道芸人の人も苦労しながらがんばっておられたのが印象的でした。


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当日のイメージ(開いている空間に大道芸人の人が)

ところで一緒に出店した人たちとのチームワークは良かったです。
これが秋のイベントやそれ以降の屋台出店などを含めた
すべてにおいての第一歩でしたから、いろんな経験をつむことが出来ました。

サワディシンチャオの軌跡。今回も前回同様開業して初めての
海外研修台湾のエピソードの後半。北部編です。

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台南駅から在来線特急「自強号」に乗って4時間。台湾の首都ともいえる
台北の町にやってきました。台北駅は地下駅なので駅舎だけが独立して
存在しています。駅の近くのホテルに荷物を置くと、再びこの駅から列車に乗り。

途中バスに乗り換えて到着したのはこちら、「九」です。

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台湾の観光では欠かせないほどの存在感のあるこのスポット。
私たちが訪問した13年ほど前も同じように観光地として紹介されて
いましたから見に行ってきました。本当は回り何も無いところなのに
ここだけ古い建物と坂道の存在がよかったのか、観光地として
にぎわっていました。

立ち食いで肉マンジュウやうなぎ、
名物の芋のおしるこのかき氷などをいただきました。

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ここで、「非情都市」という映画のの舞台になった茶芸館で、
まだ飲んでいなかった包抹茶を工夫茶で。
お茶請けに、中に餡が入ったパイが2種類。

ここで台南からのちょっとしたたびの疲れを
癒すことができましたが、途中で大雨になってしまい焦りました。
でも雨に濡れる九粉は、やっぱりロマンティックです。

夕立とかスコールのようなものだったので短時間でやみましたから
雨にぬれずに引き上げます。

途中もう一箇所立ち寄りました。

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こちら、基隆の町。台湾の最北部に位置して港町。
かつては、沖縄の有村産業という船会社が沖縄とこの台湾まで国際航路
が運行されていて、時刻表などでも見ることができました。

この当時は存在していましたが、現在は廃業してしまったそうです。

ここから鉄道に乗り、台北に戻りましたら夜になりました。
夜ご飯はこちらのお店に行きました。

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好記担
ここは屋号の通り担麺が名物だけど、
店頭にいろいろな料理のディスプレィが並び、指を指して選べるシステムです。

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A菜の炒め物、三杯雛(鶏肉を揚げて甘辛いタレをからめたもの)、
しじみの紹興酒漬け、大腸の煮込みを食べました。
最後に、やっぱり担つう麺を。
干し海老のスープがものすごく優しくて、
台南の度小月よりおいしいかもしれません。

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日本統治の時代がありますから、その名残が見られます。
ただ、駐在員らしい人がサッポロのキャンペーンガールに
日本のビールブランドについて講釈を垂れていた
のだけが気になりましたが・・・。

この後、おしゃれなエリアに「ジアングレィ」という店に行きました
クレアなどでインテリアを見て、路地裏、木製の窓が大きく
取られているところなどを参考にして今のサワディシンチャオのイメージを
ふくらませたモデル店のひとつです。

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豚足の煮込み、苦瓜の塩卵炒めを頂き、当時はビールの店でしたから
この店においてあったエールビールとともにいただきました。
特にこの「苦瓜の塩卵炒め」非常に面白い料理と思いましたから
帰国後、グランドメニューにおいて、業態転換するまでものめずらしいメニューと
として人気を博しました。


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最終日は、小龍包の店に、店を開業することも決まっていなかったときに当時
かかわっていた、チェーン店の調査で上海に行った時に、
この「小龍包」を何軒も回りました。

そして、この料理は上海よりも大振りなものとして台湾でも
名物。その専門店のひとつに立ち寄りました。

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この後は、台北の町の発祥の地とも言われる古い問屋街
「迪化街」香港島の西環とかにも近い、古いチャイナがそこにあるようです。
その後は台北駅近くの陶器店で、当店で不足していた「レンゲ」を購入。
さらに、近くのスーパーで必要な食材関係を仕入れることが出来ました。

夕方足つぼのマッサージを行った後、
夜には、これも非常に面白い店。火鍋屋ですが、
工場の敷地内のようなところにあるお店です。
(地元の人に聞かないとたぶんたどり着けないような怪しさ)

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工場の社員食堂?と思われるようなところにお店がありました。
酸っぱい白菜の漬物をたっぷり入れて、お肉をシャブシャブして食べる。
たれは、芝麻醤、豆番醤、醤油、酢、砂糖など12種類の調味料を
自分で調合して作ります。
まずお店の人にサンプルを作ってもらって、後は自分で調整しました。
お肉も白菜もおもいきり食べられました。

この後向かった「永康街」では、回留というお茶屋さん。
そこで、お茶を飲んだ後、台北に数ある夜市の中でも店がビアホール化
するという夜市を目指しました。

本屋さんでは、小吃や客家料理、ビールに合う料理の本などを購入。
これまで食べた多くの料理が載っているのでうれしくなった。
最後に、日本よりうんと安いドラッグストア ワトソンズで最後の買い物。
2000元が900元に値下がりしていた
大きなクマをGETし、ホテルに戻りました。

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こちらです。しばらくは店内に置いていましたが、現在は2Fの事務所にいます
大きさは、「セイノスケ」と同じくらいです。

翌日は8:00のフライトでしたので、朝4時台に起きて支度しました。
ですからお店もあまり開いていなくて、三文治とかいう名前の
サンドイッチとかそういう店が多くて苦労しましたが、それでも
お粥に、大腸の煮物、ピータン、セロリの炒め物、豆腐という中華系の
食事を頂き、無事お昼に日本に帰国しました。

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ちなみに一番右の熊、前回も登場しましたが架空の存在です。
実はこの熊にもモデルがいます。それが、下記の存在です
          ↓

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「エバーベアー」は今も窓際のテーブルに座っています
次回来店される機会がありましたら、是非とも生でご覧ください。

サワディシンチャオの軌跡。今回と次回は旅がテーマ
旅行記ほど詳しく書きませんが外洋だけ追いかけます。

元々は、旅が好きというのもあるのですが、
年に1・2回の海外渡航は元々ある個人店のを真似た物です。
そのお店はビールの店でも東南アジアの店でもないのですが、
年に2回ほどバカンスを取って長期の休みに入っていたそうです。
開業時にそのお店をずいぶん参考にしましたので
ここでも「やりましょう」ということだったのです。

開業して初めての海外(海外研修)の行き先は台湾。2003年の8月に行きました。
4泊のうち最初の二泊が南部で後の二泊が北部という行程でした。

実は、このときの台湾研修の参考にした本がこちらです。
台湾(特に台南地域)のグルメ情報が満載のこの本で調査して
いざ出発しました。

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エバー航空で日本からまず台北に入ります。ここから国内線に乗って
台南を目指すのですが、空港が桃園の国際空港から台北市内の松山空港
間で移動しなければなりませんでした。そこでバスで移動して
ちょっと時間があるということでまずは、台北松山空港近くにある
茶芸館(中国茶を飲ませる喫茶店)の有名店「竹裏館」に行きました。
台湾は、お茶の産地でも有名です。
大陸の龍井(ロンジン)茶が本来好きなのですが、
今回は台湾のお茶で攻めました。
ここでは凍頂鳥龍茶と高山鳥龍茶を茶杯で頂きました。
とろりとしたミルクのような香りと、華やかな花の香りがしました。
お勧めだった生茶菓子も、上品な甘さでした。

あわただしく松山空港で国内線に乗って到着したのが
台南の空港です。空港から市街間でタクシーに乗って移動しましたが
その途中の雰囲気にベトナム・対を思わせる雰囲気があり
ここは「アジア」と思いました。(台湾でも南部地域にそれを感じます)

宿に荷物を置いて最初に向かった先がこちらです。

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阿霞飯店。画像の蟹おこわの専門店です。

店の位置がわからなくて、薬局の人に聞いたら
日本語が堪能で、わざわざお店まで案内してくれました。
この旅でいちばんの目的の蟹おこわ!!
噂通り、蟹みそがごちゃまん、中から帆立、海老、豚肉などなど
いっぱいの具材。

さっそく、新メニューのヒントいっぱいでうれしくなりました。
(当時は東南アジア料理店ではないので、こういう台湾料理も新作メニューの
ヒントにして、というか実際に蟹おこわはメニューで再現しました)

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こちらのからすみや豚角煮、筍など、台南名物ばかりの盛り合わせオードブル。
そして「ムツゴロウ」のスープもありました。
むつごろうは、岩魚みたいなあっさり味。
まるごとにんにくがスープに入っていて、ほくほくしていておいしいものでした。

ところが、その後台湾の書くとして名物として存在している夜市
台南の小北夜市は貧弱に見えてしまいました。
おいしそうな臭いもなかったので、
近くのスーパーで珍しいビールを調達してホテルに戻りました。

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2日目は、台南の市内を散策後、昼食は「度小月」という麺の名店に行きました。

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台南担つう麺の元祖「度小月」の麺です。
予想と違ってインテリアデザイナーのとってもおしゃれな店
だったのがびっくりしたところです。
台湾人の観光客に交じって、担つう麺と豚足煮込み、煮卵、腸詰をいただきました。

ここから、南部最大の町「高雄」を目指しました。
各駅停車で1時間で移動できるということで利用したのですが・・・・。

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上記のようなミスをやってしまいました。

高雄では、西子湾を目指しました。
今年の4月に行ったときにはすでに地下鉄網が充実していた高雄も
当時は西子湾方向には地下鉄路線がなくバスで移動。
そしてこれも今はない、海鮮のお店の一軒に入りました。

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海老と貝の塩焼き。
目の前を、大型貨物船が横切りながらの昼ビールは、なかなかおいしいものです。

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帰りは歩いて高雄の市街を目指しました。
散歩していたら、胡椒餅の屋台をみつけたので、買い食い。
中から肉汁と葱がたっぷりのあんです。

高雄の夜市を眺めながら、ビアレストラン「知名度」というお店に行きました。
当時は「ビールの店」と言うのがありましたから、やはり現地のビールの店には
行かなければならないという強い使命を持っていたのです。
ということでこのお店に入りました。
ケグから出る生ビールは現地の風土に合って中々良かったものの
空心菜炒め、から揚げなど、いわゆるうまみ調味料(化学調味料)
の味が強すぎて正直おいしいと感じずいまいちでした。
ビアレストランでよくありがちな感じがしました。
(そのためか、2016年4月の時点ではすでになくなっていました)

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こちらは「口直し」にと、夜市の蛇料理屋で、蛇スープと蛇の生き血入り蛇酒。
を飲みました。精力はついた気がしました。
ちなみにこのお店は2016年4月時点で健在です。

宿は台南にありますから、バスで台南に戻りました。
バスで一時間ほどですが、現地のバス会社の名前が変わったものもあって・・・。

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台南に戻って、ちょっと不完全燃焼ということで地元のガイドブックに載っていた麺の店へ。汁無し麺と、スープ麺、そして台湾生ビール。
汁無し麺がビビン麺風でグッドな味わいでした。

3日目は、北部台北への移動の日。当時は台湾新幹線もない時代でしたから
在来線特急「自強号」に乗って4時間程度の旅。

その前にちまきの店「再発号」へ、そこで朝食をとります。
ちまきは、列車の中でも食べられるということでテイクアウト。
同時に、朝ご飯にと、ミルクフィッシュのお粥と魚スープを
いただきました。そしてこれがなんと絶品の味だったのです。

ところが悲しいことに電車の時間が迫ってきたので
泣く泣く残して駅に向かいました。ちょっと悔やまれます。

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こちらが、再発号のちまき。朝食が時間切れの悔しさを
このちまきがちょっと救ってくれました。

以下、「北部編」に続く

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おまけ:これはおそらく2007年から2008年ごろに描いた漫画です。
開業記の漫画の続編としてこのときの台湾のことを漫画にしたもので
今に通じるくまさんやセイノスケも出ていて、今回の記事にも引用
しましたが、こちらのキャラクターはまったくこの漫画で強引に出てきた
というだけの存在です。

このモデルは次回ご紹介したいと思います。

開業当時から現在そしてこれから未来も行うであろう事に海外渡航があります。
海外渡航(海外旅行)といえば、遊びに行くイメージが
強いですが、私たちの場合は、半分は「仕事」現地での味のチェックや
必要なものを買い付けるということをしています。

当時は東南アジア料理店ではないのですが、
このころからその「精神」はすでに受け継いでいました。

とはいえ、海外渡航をすると、その間の営業が停止しますから
当然通常とは違う特別な資金が必要となります。
それをどう捻出するかということですが、
実はBEER&BEAR時代に数回行われていた「麦酒食堂祭り」
という方法で、資金を確保して渡航しました。


では、その「麦酒食堂祭り」とは何のことか?
それは、「冷蔵庫にあるビールを飲み放題にして空にしよう」と
いう究極の企画なのです。


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画像は、あるスキー場に存在するホテルです。

実はまだ店を始めることすら考えていなかったころで、
結果的にビールの世界にのめりこむきっかけだった出来事が
1999年の秋のころに、こういうスキー場のホテルでありました。
(ちょうど4年ほど前のことですね)

スキー場は冬以外はお客さんが少ないこともあって、
オフの時期の集客のために企画されたものです。

ネット(当時はメーリングリスト)を使って仲良くなった人たちの
全国のオフ会の会場として、そのホテルに行きました。
このネットのグループはビール愛好家のグループです。
その為、ホテルのレストランの冷蔵庫に入ってあった世界のビールを
好きなだけ飲んでよいと言われ、みんないっせいにビールを飲んだのです。

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飲んだ後のカラオケの模様(メンバー泥酔状態)で翌朝の朝食が
取れないほど酔ってしまいました。


これを、店の企画で考えたのです。
実はこのような企画は、ビールに限らず日本酒とかでも行っている店が
あることを予め知っていましたので、
特に問題なく、2003年8月の渡航前日
完全飲み放題企画として実施したのです。

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正直今までそれなりの価格で提供していたビール。
高いのも安いのも全部飲み放題ということで、正直どきどきしましたが、
私たちも酒飲みですし、かつてのスキー場での飲み放題の出来事を
思い出しながら、参加メンバーに好きなように冷蔵庫を開けていただいて
好きなように飲んでいただきました。

結果いつもとは明らかに違う泥酔状態の人が続出しました。
同時に料理も食べ放題にして、冷蔵庫と食材を空にしました。
そして渡航中冷蔵庫の電源を切るのです。

終了時間が深夜になりましたから、ここから店内の掃除を、
夜中じゅうずーと行いまして、終わったら明け方。
そのまま空港に向かうという流れを行いました。

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その後この麦酒食堂祭りは、生樽の数が増えたこともあって
樽だけ飲み放題の「樽祭り」とかいろいろなバリエーションをしながら
最後2007年の1月まで行いました。

もちろん資金は集まりますが、後の仕入れとかが大変で
もう今では絶対できない企画でもあります。

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ちなみにこの最初の企画で出会った男女が後にカップルとなり。
最終的に結婚されたと言う事がありました、
この企画が恋のキューピットになりましたのは
非常にうれしいところですね。

2003年の7月から8月期にかけてはお店のほうも、
夏というシーズンでかつラジオなどのメディアの露出などもありましたので、
おかげさまでお客様も安定してこられるようになり、
外のテラス席も真夏はさすがに暑かったのですが
その前後でしたら、どこかで飲んできた会社員の団体がやってきて、
その辺りにある瓶ビールを判らないなりに飲んだあと、
ナシゴレンを所望する人とかが秋くらいまで来られたりしました。

ナシゴレンは開業当時から存在して、あまりこだわりのない人にも好評でした。

それ以外にも、ある日の遅い時間に、やってきた一人の男性客
途中で話をして(というより相手が話したくて仕方がなかったような感じ)
おられました。聞くところによると出張で大阪に来られて
偶然に立ち寄ったということです。

名刺を置いて帰られたのですが、実はある大手企業の地方の支社の
幹部の方でした。大阪のへそに店があるとこういうお客様の需要
というのがありますから、開業してから数年間はずいぶん助けられたものです。


当店から最も近いホテルは、同じ博労町にある

とはいえ、こういう人たちは完全にビールの店とかそういうこととは違った
お客様ですから、まあ普通の飲食店でも起こりうる話ではあります。
(この方も別にビールとかにこだわりがあったわけでもなかったようですし)
実は近くにビジネスホテルも数件ありますからそういう方の利用も
結構あったのです(それは現在でもたまにある話です・・・。)


さて、今回は今ではちょっと考えられないけれど当時はまだあったという
エピソードを紹介します。
当店の存在する路地の他のの店は、他のビルの店とかと比べると
それほど友好関係というか共同で何かをするとかそういうのはありません。
(そのことが後に禍根を残すことにもなるのですけれど・・・・)

ビルの店とかだと貸主にもよりますが大体は
そこの方針で店舗同士の交流とかを促進して、相乗的に客寄せをしようと考えます。
この後私たちはいろいろなイベントに屋台出展を何度か経験しますが、
そういうところなどは主催者側ががんばって客寄せをして
出店の店舗の売り上げにがんばってくれます。

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難波神社のマルシェも出店者同士の交流を促進



しかし、もともと地権者もばらばらで、何か路地で取り決めごともない事実上
独立したお店。トイレも各店舗にありますから、
交代で掃除とかそういうのもないのでほとんど交流がありません。
特に手前の居酒屋さんと隣の割烹点は犬猿の仲で、
隣と斜め前の洋食屋さんが非常に友好的だったという複雑な状況だったのです。
それでも、当店は手前の居酒屋さんの交流があったり、
他店とも特に敵対関係もなく、比較的平和だったので、面白い動きがあったのです。

それは、それぞれの常連客が当店に興味本位で来られたのです。

一人目は、突然やってきたやや怪しげな男性。
普通の会社勤めのサラリーマンという雰囲気ははなく
何かアーティストというかクリエイティブな香りがするような人。
すでに酔っているらしく、ご機嫌で入ってきて、マイペースで独自のことを
語りだします。「ポンの会」というのをやっているらしくその話を延々とします。
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しばらくすると隣の店の主が入ってきました。
後で聞くとこの人は隣の店の常連さんで漫画家の先生だというのです。
そのときは店の主がその漫画家の先生とちょっと付き合って30分ほどで
元の場所に戻っていかれました。

もう一人は、酔っているというかもはや泥酔に近い状態でやってきた会社員。
大声で威勢の良いことを言います。その隣には手前の居酒屋さん。
付き添われてきたようです。
なにやらその人は近くの卸会社の管理職(部長)らしく、
そこでお客さんを集めてイベントをするのでビールを提供して
ほしいという依頼です。
仕事の依頼なのですが、すでに酔いが回りすぎて付き添っていた居酒屋さんに
「飲みすぎや」と窘められている状態。
話半分聞きながら承諾したら非常にうれしそうに「頼みますよ」
と言って帰られました。

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翌日、その人が再び来店されましたが、前日とはうってかわって硬直した表情。
非常に申し訳なさそうに入ってきて伴われた人はその会社の社長さんだったのです。

どうやら酔った勢いで勝手なことを決めてしまい、そんなつもりがないのに店に
適当な事をいったということで謝りにこられたのです。
話半分で聞いていましたから別になんとも思っていなかったのですが・・・・。

ところが、当店がベルギービールのホワイトビール(ヒューガルデンホワイト)の
生ビールを、当時置いてましたからそのことが気に入られたのか、
この後数回当店に来てくださいました。
こういうことがあるから面白いと当時は思ったものです。

でも、その後、店も変わりいろいろなことがおき、今では微妙な関係が続いている
ところが多い状況。こんな事はほとんどないのかもしれません
(お昼とかだと巡回はあるようですけれど・・・・)

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