フエの観光を終えた後、そのままチャータしているミニバスに乗り南下します。
途中、海鮮粥が名物のランコー島は今回時間の都合で素通りして、
先ず到着したのがこちら、ハイヴァン峠。
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これは、主観なので話半分と思っていただきたいのですが、このハイヴァン峠
を境にして南側が本来の東南アジア圏ではないかと考えられます。
実はこの峠と北と南とでは天候も違っていて、北のフエとかはどんよりしていて
気温もやや低めなことが多いのに対して、南のダナンは晴れていて、ようやく東南アジアらしい暑さが感じられる境目だったりすることが多いそうで、実際今回もそうだったからなのです。
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この峠も3回目くらいだったと記憶していますが、以前だと物売りが多いだけ
でしたが、こんな立派な説明版までできていて驚きです。今はトンネルがあるのであっさり行くことができますが、かつては主要国道がこの峠を越える必要があって、その下を走る統一鉄道も、機関車の能力的な問題があるのか時速10km位の超低速で必死に登って越えた記憶があります。(恐らく日本であれば専用機関車をつないで乗り切りますが、十数年前のベトナムではそれはなかった)

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話を戻して、上にあるのがハイヴァン峠の遺跡です。
文化的にも、この境は国の堺があって、元々ベトナムは北のハノイを中心としたあたりに国があって、南の方には別の国(チャンパ王国)がありました。この王国は文字や文化形式が他の東南アジア諸国に近く、ハノイのベトナムだけが中国寄りだったようです。ですから国境である以上に、文化の境でもあったわけですね。

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峠から見える海の様子。もちろんベトナム自体が東南アジア以外のなにものでもないのですが、ここから本来の東南アジア圏突入するような気がしてしまいます。
ということで、車は峠を降りたすぐのところにあるダナンを経由し、世界遺産の町ホイアンに到着しました。

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ホテルでのチェックイン時に頂いたウエルカムのフルーツとスイカジュース。真ん中にあるのは、定食メニューのデザートでおなじみのDGF(ドラゴンフルーツ)

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こちらがホイアンのホテル。ここで2泊します。どことなく落ち着きを感じます。

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なんと部屋にまでウエルカムフルーツが!

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部屋の様子。タイル張りが東南アジアらしいですね。そして左の液晶テレビ。これは地デジ化された日本で一般化していますが、東南アジア圏の安宿でも結構導入されていて、ブラウン管テレビが世界中で歴史的なレトロ品になっているのが垣間見えます。
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洗面台。コップがバチャン焼き

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シャワールーム実は夜ちょっとしたトラブルが・・・・・。

早速、夕食会場のレストランに向かいます。

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集合写真を撮りました。今宵はフレンチをいただきます。

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お酒を嗜む人がいないので、こういったフルーツのジュースを飲みながら食事を
進めていきます。
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昨夜の宮廷料理はどちらかと言えば「中華的」ですが、こちらは「フレンチ」
ベトナム料理の象徴される両極端の料理を今回は味わえます。
この料理のイメージはわかりませんが、見た目島が真ん中にあって周りの
添え物はサンゴ礁を意図しているように見えます。

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と言う風に、これはフレンチだけの話ではありませんが、それなりのクラスの料理になれば、口に含むあるいは解き放つ香りだけの「食感」に加えて視覚をも楽しませてくださいます。「食べるアート」と言う方が適切かなと言う気がします。

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一品人品手が込んでいるのがわかります。

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料理人の「作る」という技術はもちろんのこと「見せる」ところも
重視するからこその作品。本当に食べてしまう事により消滅
しますから、時間軸が限られた作品と言うべきでしょう。

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無地ではない器が登場しました。このあたりから「フレンチ、フレンチ」が強要されていないような料理が出てきた気がしました。

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きゅうりの切り方も、昼間見た禅寺ティエンムー寺の搭を意識しているようにも見えます。

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とはいっても、あくまで「フレンチ」ソースの使い方に力強さを感じます。

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これは、表現を見ている側に投げかけて考えさせようとしている
現代アート的にも見えます。

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ついつい作品として見てしまいますが、味は申し分ありません。
それにしても、ベトナム人からしたら好ましくなかったフランス人の
立場を考えると、現地のフレンチの重要性を感じます。

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現代の飛行機でもベトナムからフランスまではそれなりの時間がかかる長距離路線。
当時、恐らく帆船ではなく蒸気船の時代に変わったとはいえ、遥か遠い祖国から遠方の国に赴任したフランス人たちの気持ちはいかばかりのものか?

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ここまで完成度の高いフレンチは当時の統治時代にはなかったのかも
しれません。しかしながら祖国の味を必死で追及したであろう当時のフランス人の事をふと脳裏に浮かべながら美味しくいただくことができました。

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おまけ:ホテルのシャワーを浴びた後、ドアが突然閉まって
閉じ込められてしまいました。隙間を強引に入り込んでから
連絡して対応してもらいましたが
いや、こんなことは初めての事ちょっと怖かったです。