開業時の仕入先は今とはずいぶん違いました。
まずは木津市場。こちらは現在リニューアルされて、
昨年(2015年)当たり久しぶりに仕入で使用しましたが、この初期のころに
ほんの少し使おうとしたものの、ずいぶん遠ざかりました。
結果的にいえば、ロットが大きすぎたのが原因でした。
今の木津市場は経営や体制がずいぶん変わったためか一般の人も含めて
仕入れや買い物が気軽にできるようになっていますが、昔は本当の卸市場
のため、素人的な人は基本的に相手にされない空気がありました。

実際にこのような光景を目の当たりにしました。
ただ、このやり取りは事実ですが、双方が気の知れた関係であれば
半ば冗談的なニュアンスもあっただけだったのかもしれません。
仮にそうでなくても確かに鮮度が命の生鮮の魚介類に安易に手を触れるという
行為は慎むべきだったのでしょう。
もちろん今の木津市場の雰囲気はこれとは違う(私たちがこのころより慣れた?)
印象ですが、いずれにせよプロの洗礼というかそれだけプロの世界というものは
厳しいものということを印象付けられたことは間違いないです。
次に、黒門市場。ここ最近は外国人観光客を中心に
その場で魚介類を食べられるフードコート的な観光市場になりましたが
かつては、プロなども買いに来るような市場で、現在の木津市場的な
ポジションでした。

画像の黒門市場の中の「日二会」というエリアはメインの通りから横に出ている
エリアですが、店を始める前の臨時居酒屋りんポー亭の時代からよく利用しました。
初期のころは右手の鶏肉屋さんで鶏肉に加えて卵も仕入れていました。
これは、りんポー亭時代から鶏肉と卵を買う店、野菜を買う店
豚・牛肉を飼う店というのがあって開業後もそれらの店に足を運びました。
鶏肉に関しては非常に高い店もあり一時それを使いました。
しかし、この店は高級割烹や料亭に卸しているほどの肉を使い、
確かにすごい肉だと思いますが、当店のように唐揚げに使うにするととんでも
ない原価となり、小さな肉片で出すことができず悩んだものでした。
台湾食材店にも当時行きました。当時は東南アジア料理店ではなく
世界の家庭料理というポジションでしたのでそれが可能でした。
ビールのお店なのにヨーロッパになぜか触手が行かずにこれらのほうに
行ったのは不思議ではありましたが、店を始める前年(2002年)に
上海で小龍包の研究を飲食チェーンのお店の依頼(シェフが非常勤顧問という立場)
ででやりましたから、そのときの小龍包を食べた思い出が頭によぎり
どうしてもメニューに取り入れたくて、
この台湾食材店で仕入れに行きました。
後に台湾にも行きましたが、最終的にこちらの食材店はなくなってしまいました。

かつてはこの近くに食材屋さんを有していて、毎週のように仕入れに行きました。
最後にタイ食材店。今ある食材店はもっと後年にできましたが、
かつては国立文楽劇場のすぐ近くに違う経営者の食材店がありました。
ここにもいつも行くのが楽しみでした。
このお店は、当店が開業当初。
すぐ近くの農業会館の地下に2号店があって、
タイ本国から上座部仏教の僧侶を呼んで「ソンクラーン」という
タイの正月のイベントを行っていて見に行きましたが、
やがてその店は閉店し、やがてこの食材店も閉店
最後に残っていた飲食の店も最終的になくなってしまったようです。

ここだけ独特な雰囲気がありました懐かしい思い出です。