「サワディシンチャオ(旧:東南アジア10か国料理店)」公式ブログ

2021年1月まで存在していた飲食店。店は閉店しましたが事業は引き続き継続します。

2017年03月

いつもお世話になります。週末で月末、そして年度末の本日も
通常通り13:00-23:00まで途中休憩なしで営業します。

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テイクアウトもあります。お花見にいかがですか?

オーケストラの日
日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。
「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、
春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。

教育基本法・学校教育法公布記念日
1947(昭和22)年のこの日、「教育基本法」と「学校教育法」が公布された。
翌日から施行され、学校教育の6・3・3・4制が発足した。

エッフェル塔落成記念日
1889(明治22)年のこの日、エッフェル塔の落成式が行われた。
パリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、高さは約320m。
パリ万博に合わせて建設され、フランス人技師エッフェルが設計した。

会計年度末,学年度末

解放記念日 [マルタ]
1979年のこの日、地中海の島国・マルタから、
独立後も駐留していたイギリス軍が全て撤退した

最初に地図をご覧ください。行程がややこしいのですが、
この地図の1と2は前回の旅行記の行程です。

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そして、3から5が今回の行程。途中でバスターミナルと市内を往復する結果となります。

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遺跡見学から最後に、連れてってもらったのが、
街の真ん中にあるこちらのレストラン。
昨日の夜同様ここもベトナム色が強いレストラン。

実はタイ人に一番人気のベトナム料理レストラン
と言う事でこちらにやってきました。

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とりあえず、ビールをいただきます。

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こちらのスープをいただきます。ハスが入っているようです。

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盛り付けもどことなくベトナムを連想してしまいました。390Bでした。

この町とベトナムとの関連が気になるところでいずれ調べてみたい
のですが、現時点ではまだわからないです。(引き続き調べてみます)

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レストランが街の中心部にあったので、そのまま市場見学です。

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近隣の地図がありました。


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いいですね。路上で魚を焼いていますよ。


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市場です。ピークは過ぎたようですが、まだ品物はありました。

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こちらのお菓子を購入。15B


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生鮮は、ちいきによってちがいますので、要チェックです。

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竹の中に詰めて、竹ごと焼いたものですね。

さて、市場の見学も終わったのでバスターミナルに行きます。

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バスターミナルは、こnカンペーン・ペッの場合、大きな川の向こう側に
あります。そこはタイの主要道路国道一号線がバンコクからチェンマイ方向に
向かって通っていて、そのためバスターミナルもその近くにあるようです。

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この川は、ピン川と言う川で下流ではほかの川と合流して
チャオプラヤー川と言う名前でバンコクの中心部に流れている
川です。

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川を超えるとすぐにバスターミナルがありました。なぜ来たかと言うと
次の目的地「ターク」へのバスの時刻を調べるためです。前日バスが当分なくて慌てて高い金を払ってソンテウをチャーターする羽目になりました。今回はそれを阻止するために荷物を持たない気軽な状態で来たのですが・・・・。

裏目に出ました。主要国道1号線沿いを走るカンペーン・ペッとタークの間には
1時間おきにバスがあることが分かったからです。
と言う事で荷物を取りに宿に戻るのですが、ここでサムローと交渉できない
らしいのです。どうやらバスターミナルが絡んだ何らかの利権が働いているらしく
拾おうとしてもバスターミナルの人が追い返していました。

仕方なくバスターミナルから離れて交渉すると、200Bでボロウと
しましたので、あきらめて歩くことにしました。

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先ほど総会に走ったピン川に架かる橋を歩いて渡ります。
なんとなく裏目裏目に・・・長旅はいろいろありますね。

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こんな風に歩いて渡ります。歩道があるので問題はないのでしょうけれど

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それでも、ピン川の流れをゆっくり見ることができたのは良かったですね。

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この川は、これから向かうタークから流れてきています。そして
最初に立ち寄った首都バンコクに向かっている・・・川の流れを想像
するだけで楽しいですね。


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バックパッカーではありませんが、それに近い旅になっています。
行き先とか道はわかっていますが、それでもちょっと果てしない。
すると、拾う神?流しのサムロー登場。ここで宿までとバスターミナルまで
戻ってもらう交渉をします。 100Bで交渉成立

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ということで、昨夜の宿まで荷物を引き取って、再びバスターミナルに
無駄な動きをしたことが悔やまれますが、これは仕方がありません。

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後ろにいるのがサムローの運転手。彼がいなければ、結構広い街だけに
結構大変だったかもしれません。

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とりあえず、無事にタークを目指すことができました。

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行き先表示を示した場所。でもここではないのです。

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タークまでのチケット(1人:50B)を払うと
大型のバスが来ました。でもこれではないそうです。

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このバスはバンコクとチェンマイを結ぶ主力の長距離幹線バスです。

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ここから、タークまでは1時間程度の距離。
と言う事で、こちらの近距離用のミニバス(ロッティ)が
私たちが乗るものです。

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ちょっと拡大。多くの人が待っていてほぼ満席。
欧米人の姿もありました、この人たちはタークからミャンマー国境
のメーソートに向かうのでしょうか?

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こうして、カンペーン・ペッの街と別れます。来る時からチャーターを
せざるを得ず、帰りも少しドタバタしましたが、それでも宿が可愛く
遺跡は素晴らしかったので良い町でした。

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車窓です。小さなバスなのであまり撮影はしていません。

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1時間程度なのでそのままタークまで直行かと思いきや、
途中でトイレ休憩がありました。

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ガソリンスタンドや売店食堂トイレを兼ねたドライブイン。

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おや?何やら大きな花を拾いましたよ。

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食堂を見学します。最低30Bから5B単位で食べられるようですね

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食べはしませんがこういうところでチェックは欠かせません。

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トイレ休憩が終わり戻っていきます。バックの青空と山がきれいですね。

ということで、タークまではあっという間に到着です。

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こちらがタークのバスターミナル。ここは北にチェンマイ、南にバンコク
西にスコータイ、ピサヌローク、そして東はメーソートを経てミャンマーに
つながる動脈の十字路になる重要拠点。
でも、のんびりしていました。

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さりげなく、ムエタイの試合が放送されています。
日本でいえば、プロ野球とか相撲が放送されているようなものなのでしょう。

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バスターミナルからサムローに乗ってホテルに向かいます。
カンペーン・ペッと違い、タークの街はこじんまりしていました。

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こちらがこの日泊まる宿。新しいホテルなのできれいです。

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部屋もきれいです。パンダの絵がありますね。
パンダの人気は万国共通のようです。

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窓から外の様子。

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テレビをつけると怪しいドラマが始まっていました。


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タイの宿でも日本のように液晶テレビが当たり前で、フルハイビジョンなのか
4Kと称されるものかはわかりませんが、画質が渡航するたびに良くなっています。
(そのためか、役者さんの顔が異様に白っぽく見えます)

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廊下から見える夕日。神々しいですね


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こちらが部屋の入り口です。


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と言う事で、こんな行程でした。

いつもお世話になります。
本日は通常通り13:00-23:00まで途中休憩なしで営業します。

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※本日の記念日

国立競技場落成記念日
1958(昭和33)年のこの日、神宮外苑に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。
敷地面積は22000坪で約58000人の収容能力を持ち、1964(昭和39)年には東京オリンピックの開閉会式の会場になった。

マフィアの日
1282年のこの日、マフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こった。
当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。
1282年のこの日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に市民が集まっていた。そこへフランス兵の一団がやってきて、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、「シチリアの晩鐘事件」と呼ばれる。
この叛乱は全島に拡大し、フランス人は見つかり次第に殺され、その数は4000人以上に及んだ。この叛乱の合言葉「Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)」の各単語の頭文字を並べると「マフィア(mafia)」となり、これがマフィアの名前の由来であるという説がある。
シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争が起った。

いつもお世話になります。週の真ん中の水曜日の本日は
通常通り13時から23時まで途中休憩なしで営業します。

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※本日の記念日

マリモ記念日
1952(昭和27)年のこの日、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された。
同時に、富山湾のホタルイカ群遊海面、鹿児島県出水市のナベヅル、
高知のオナガドリ等も国の特別天然記念物に指定された。

八百屋お七の日
1683(天和3)年のこの日、18歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられた。
前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火、火はすぐに消しとめられたが、お七は御用となった。
当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、その意味がわからなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。
お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。

作業服の日
作業服などを販売する川口市の「まいど屋」が制定。
「さ(3)ぎょうふ(2)く(9)」の語呂合せ。

青年節 [台湾]
1954年から実施。
1911年旧暦3月29日(新暦4月27日)、清の広州で反清武装蜂起「黄花崗起義」が起こった。

立原道造忌
詩人・立原道造の1939(昭和14)年の忌日。

おぐしみきアジアンクッキングサロン。
本来なら当店シェフのおぐしが講師として東南アジア料理を
指導しますが、今回は特別料理教室として
モンゴル人のギーマ先生を講師としてモンゴル料理教室を開催しました。

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こちらが、材料です。通常のベトナム料理やタイ料理あたりと比べると
シンプルなのが特徴。内陸に囲まれた国というのもあるようですが、
モンゴルでは魚類は「神」のような扱いだそうで、基本的に食べないそうです。

使用する野菜もキャベツやニンジン、玉ねぎと
結構限られたものを使用します。
対照的に肉類は、牛、豚、羊と多彩です。

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生徒さんは、クッキングサロンのベテランMr.T氏と昨年、
一昨年とグルメツアーに参加してくれた、占い師の飴春先生。
という重厚メンバーだったのか、予想以上に作業が早く進行しました。

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そして、真ん中の女性がギーマ先生です。
首都ウランバートル出身で日本に来て5年だそうですが、
日本語は何の問題なく話されます。

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モンゴルは地理的にロシアと中国に挟まれていますが、
中国よりロシアの影響の方が強いそうで、料理も箸よりスプーンを
使われるそうです。

こちらは、ボーズというモンゴルの蒸し肉まんの生地づくり。


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ちょっとだけ動画にもとりました。


こんな感じで作っていきます。


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出来上がった生地ですね。
この後、次のように餡を包みました。



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ロシアの影響強しですが、これを見る限り小龍包などの点心類
のようにも見えます。ですから中国の影響も受けているのがわかります。


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完成した料理です。真ん中が、スーティツァイと呼ばれる
モンゴルのミルクティです。

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シチュー仕立ての野菜スープ。どことなくロシア料理に似ていますね。

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こちらがモンゴル式の人参サラダ。モンゴルで使用される野菜は
限られたものですが、その限られたものを最大限に利用しているのが
解ります。

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このピザのようなものは、モンゴルのお菓子だそうです。


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そしてボーズです。特にたれなどつける必要もなく、おにぎりのように
そのまま食べられます。
結構そういうのは便利いいんですね。モンゴル民族は本来騎馬の放牧民族ですから
携帯食として大変重宝したのでしょう。

ということで、今回は特別料理教室でした。
また、こうやっていろんな国の人たちと交流を兼ねて、
世界中の料理教室が開催できればと思います。

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