「サワディシンチャオ(旧:東南アジア10か国料理店)」公式ブログ

2021年1月まで存在していた飲食店。店は閉店しましたが事業は引き続き継続します。

2016年10月

おはようございます。本日も通常通り13:00-23:00まで、
途中休憩なしで営業します。

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本日は、テディベアズ・デーです。

テディベアの名前の由来となったアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの
誕生日。イギリスのテディベアコレクターの間で始められ、
世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。日本では日本テディベア協会が1997年から実施。
1902(明治35)年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛けたが、獲物をしとめることができなかった。そこで、同行していたハンターが小熊を追いつめて最後の一発を大統領に頼んだが、「瀕死の小熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。このことが同行していた記者によって新聞に掲載され、
このエピソードに因んで、翌年、ニューヨークのおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみに、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて発売した。その頃、ドイツのシュタイフ社の熊のぬいぐるみが大量にアメリカに輸入され、この名前が広まった。

テディベアーについて詳しくは


※そのほかの記念日です。

文字・活字文化の日
2005(平成17)年制定の「文字・活字文化振興法」により制定。

読書の日
「読書週間」の1日目の日。
読書週間 10月27日~11月9日

世界新記録の日
1931(昭和6)年のこの日、神宮競技場で行われた体育大会で、日本初の世界新記録(南部忠平の走り幅跳び7m98、織田幹雄の三段跳び15m58)が誕生した。

独立記念日 [セントビンセント・グレナディーン]
1979年のこの日、カリブ海のセントビンセント・グレナディーンが
イギリスから独立した。

独立記念日 [トルクメニスタン]
1991年のこの日、中央アジアのトルクメニスタンがソ連から独立した。
 [Wikipedia]wikipedia - トルクメニスタン

松陰忌
長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰の安政6(1859)年の忌日。
安政の大獄で捕えられ、この日に処刑された。

それでは本日もよろしくお願いします。

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よろしくお願いします。

いつもおせわになります。週の真ん中水曜日。
本日は通常通り13:00-23:00まで途中休憩なしで営業します。

本日は「柿の日」だそうです。
全国果樹研究連合会が2005(平成17)年に制定。
1895(明治28)年のこの日、俳人・正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の
句を詠んだ。


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※その他の記念日です

青汁の日
アサヒ緑健が制定。
10をアルファベットのIOに見たてて「青」と読み、
26を「汁」と読む語呂合せ。

きしめんの日
愛知県製麺工業協同組合が制定。
食欲の秋の10月と、きしめんはつるつる感が特徴であることから
「2(つ)6(る)」の語呂合せ。


原子力の日
日本政府が1964(昭和39)年に制定。
1963(昭和38)年、茨城県東海村の日本原子力研究所で、日本初の原子力発電が行われた。また、1956(昭和31)年のこの日には日本が国際原子力機関(IAEA)に加盟した。

反原子力デー
「原子力の日」に因み、各地で原発反対の運動が行われる。

ナショナルデー [オーストリア]
1955年のこの日、オーストリアが永世中立国宣言をした。

アンガムデー [ナウル]
第一次大戦後の人口調査で、民族の存続に必要とされる1500人を下回った
南太平洋の国・ナウルの人口が、1932年のこの日に1500人に達したことを記念。

それでは本日もよろしくお願いします。

今回の記事は、この旅の中で最も重要な目的の部分です。
それは、フィリピン料理教室で現地の人からフィリピン料理を
習うからです。

実は、このフィリピン料理教室、
マニラでなかなか見つけることができませんでした。
2年前の前回渡航時にも探したのですが、
そのときには見つけることができずに断念。
今回は是が非でもと探しに探してようやく見つける
ことができました。場所はマニラの旧市街地ともいえる「パコ」
というエリアにありました。

http://asianfoods.biz/Travelhp/2016Pili/05/01.JPG

マニラの高架鉄道で、カーティまーショッピングセンターの駅から4駅
先にある。United Nations Avenueという駅で降ります。

降りて少し歩くとフィリピンらしい建物があります。

バイブルセンターとあります。聖書に関する建物のようです。
カトリックの国らしいですね。

ここから料理教室のあるゲストハウスまでゆっくりと歩いていきます。

途中の銀行の建物を囲う小さな堀に地元の人が注目していました。

このような大きな魚が泳いでいました。


地元の子供たちがこの魚を捕まえようと竹の棒のようなものを
持っていましたが、当然そのようなもので捕まえるのは不可能。
子供たちはあきらめ、魚のほうは何事もなかったかのように
涼しいたたずまいをしていました。


途中小さな川を渡ります。ちょっとしたところでも南国の島国の
雰囲気が残っていますね。

 

ゲストハウスはメインどおりから路地を2つほど入ったところにあります。



こちらです。立派な邸宅のような建物です。


 





こちら「ココズガーデン」さんでフィリピン料理教室を行っていました。

出迎えてくれたオーナーの人は、アメリカ人で20年前にこの邸宅を
買い取っってゲストハウスにしたそうです。

会場は2階です。外を見るといろんな仔がいます。

 





どこかレトロな雰囲気ながら味わいある厨房で料理教室が
始まります。



調味料です。日本で再現するために調味料など細かい写真を
多く取ってきました。日本で手に入る食材や調味料
不可なら何を使って代用すると近づくのか、ここはこれからの当店の
行く末をも左右するほど大事なところです。

豚肉と鶏肉が入っています。フィリピン料理でもっとも有名な
「アドボ」を作ります。


こちらの魚を使って「シニガン」というスープを作ります。
ちなみにこの魚フィリピンや台湾でよく見かける「ミルクフィッシュ」と呼ばれている
魚ですが、調べると正式名称はサバヒー(nezumigisu)というそうです。

 

電圧はインドシナ半島の200Vと違い、
日本と同じ100(厳密には110)Vのようです。
 

オーナーの趣味が随所に見られ、こういうアートな絵が
ごく自然に飾られていました。
 

基本はデモンストレーション方式ですが、それでは身につかないと
シェフが自ら志願して包丁を握ります。


右側のフィリピン人の先生と一緒に料理を作っていきます。
 

ところが、途中で思わぬハプニングがあり、突然ガスが出なくなります。
これはあわててプロパンガスをセッティングしているところです。
 

ということでちょいと中断。厨房以外のところもなかなかおしゃれな空間です。



かつて、スペインが統治していた時代やアメリカ領だった時代を
髣髴させられます。



それは室内だけでなく網戸で仕切られた中庭でも。


彼らの存在を見ても、広々とした中庭で自由に動き回れるので
優雅に見えます。

ちょっとしたハプニングもあり予定時刻を過ぎましたが、
無事に料理は完成しました。


豚肉と鶏肉のアドボです。


ミルクフィッシュのスープ「シニガン」
 

そしてもう一品がこちら。見た目からしておいしそうです。

お皿に盛り付けていただきます。
味は申し分なく、フィリピン料理のイメージがまた変わりました。
むしろこの感動をどうやって日本に伝えるかそのほうが頭を悩まします。
 

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ゲストハウスのオーナー(左)と料理の先生(右)と記念撮影です。

帰り際入り口においてあった車です。年代を感じました。

さて、実はここの近くにどうしても立ち寄りたいところがありました。
前回渡航時にマニラの観光はほぼやりましたので、今回は観光は基本的に
行わないのですが、どうしても気になるエリアで唯一前回
回れなかったのがこのパコ地区で、今回は念願かなってそれを
見に行くことができました。


ゲストハウスからは10分以内の場所にそれはあります。
工事現場のようになっているところにそれがありました。
 

こちらです。戦国時代のキリシタン大名高山右近の像


戦国時代の後期である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代に
活躍した武将でしたが、キリシタン大名ということで最終的に
このルソン(フィリピン)に流されて、生涯を終えました。

そのことを記念して彼の像が建てられたのですが、やはり日本人として
この異国の地に日本の歴史上の人物の足跡を見ると
不思議な感動が沸くものです。
 

これは、像の後ろに見えるフィリピン国鉄のパコ駅。
情報では駅も新しくなったものができたということのようですが、
の旧駅舎。よく見ると彫刻が
施されて、うまく保存してほしいような気がします。
 

高山右近について日本語の石版がありました。
このときは再開発?かなにかで見学するにはちょっと悲惨な状態でしたが、
いずれそのあたりがクリアされてほしいものだと思いました。

開業当初、2週間ほど営業していたランチ営業はいったん
取り止めてしまいましたが、2003年の秋から再開しました。

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当時はビールの店ということもあり、夏場以降になると売上の降下が
予想されました。夏ごろラジオに出てそれがきっかけで来店した人
というのは、店の良し悪しではなく、「ラジオで紹介された店に来た」
という自己満足の人がほとんどなので、一度きりということが多いのです。
AMラジオで紹介されたのですが、その時間帯に聞く人の傾向か?
上の漫画にもあるとおり、水商売系のママと客の親父の同伴
とかそういうものばかりで大変でした。

ところで、秋以降の売上降下とは別の理由もあったのです。


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それは、当時他店がすべてランチ営業していたこともあり、
当店だけが夜営業という行為が「サボっている」と感じてしまったのです。
(決してそんなことはないのですけど)

当時は、まだ開業して半年程度で余裕もなく、そう感じたのでしょう。

ということで、750円の日替わりランチを始めることになったのです。

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わかりやすく色つきのイメージも描いてみました。
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当時は、今とは違い、周りへの迎合ということで、会社員が食べそうなランチ
ということでボリュームを重視したものにしましたし、鶏のから揚げが
デフォルトで入っていたり、メインもハンバーグとか結構肉主体のもの
それに、小鉢のようなものに野菜おかずを入れ漬物オムレツがついていました。
ご飯は日本米の白米に発芽玄米を混ぜたものを出しました。
後スープもついたお得なものです。

ところでこの当時からフォー(鶏肉)とグリーンカレー(自家製ペースト)
がメニューにありましたが、当時のものは今と比べるとあまりにも
違うのものでした。
それでも当時の他店のそれと比べて引けをとらないもので、
たまに注文する人からは好評でした。

当時は東南アジア料理店ではありませんでしたが、こういうものが
メニューにあることが結果的にそういう道を指し示していたのでしょう。
そして、東南アジア料理店になってからこれらの料理の徹底的に
強化していくことになるのです・・・・。

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